薔薇とナイチンゲール②(6/26コンサート報告)
2021年6月26日(土)に淡路のアジア図書館にて、サントゥールとトンバクのコンサート『薔薇とナイチンゲール』を行いました。
定員15名でしたが、満席で演奏会を終えることができました。お越しいただいた皆様ありがとうございました。
プログラムノート(20ページ超)も、印刷した分が全部はけました。
今回はイラン古典音楽(バヤーテトルク、マーフール)と、いくつかのイランの歌、そして13世紀~20世紀のフランス、ロシア、スペインの音楽など様々な地域と時代の音楽をサントゥールとトンバクで演奏しました。曲は薔薇とナイチンゲールに関わるものを厳選して選曲。
特にサン=サーンスの知られざる曲や、中世フランスの『Par Maintes Fois(私は何度もナイチンゲールの優しい歌をきいた)』はサントゥールで演奏することの意味があったように思います。
今回のプログラムは少し曲を入れ替えて、またいろんな場所で演奏してみたいと思っています。(お酒を飲みながら聴いてもらうのが一番ベストですね、、)
ここにはプログラムノートをすべて載せることはしませんが(改稿後、また個別に載せます)、ペルシャ詩における薔薇とナイチンゲールについての序文と、演奏した曲目を以下に載せます。
はじめに
ハーフェズやルーミーなどのペルシャ詩を読んでいると、薔薇とナイチンゲールがよく登場することに気づきます。
詩の中でいつもナイチンゲールは薔薇に恋をし、薔薇を愛しますがその恋はなかなか成就しません。一心同体になりたいと願っても、薔薇の棘によってナイチンゲールは傷付き、血を流すことになります。
詩の中でナイチンゲールは「恋する者」、薔薇は「愛の対象」として描かれます。ペルシャ恋愛詩においてはこの「愛の対象」が主役で、その美しさ、完全さが詠まれます。「愛の対象」と「恋する者」は薔薇とナイチンゲールのように動植物などを擬人化して描写されることが多いです。
13世紀の詩人ルーミーも14世紀の詩人ハーフェズも、共に神秘主義詩人でした。神秘主義について論じるのは私の力では難しいので、黒柳氏の論文にも引かれる文学者シブリーShibliの言葉を借りてみたいと思います。
「神秘主義の本来の要素は真実の愛で、それは徹頭徹尾熱情である。真実の愛のおかげで、比喩に価値が生じ、その焔は全ての詩人の心を燃やし、今や発せられる言葉に情熱を欠くことがなかった。」
ここでいう「愛」とは神への愛のことです。つまり彼らの詩では地上の愛にたくして神への愛が詠まれることになります。この愛の比喩が神秘主義文学の根本となってきました。
また、ペルシャ詩には驚くほど多くの「酒」が登場します。 酒を注ぐサーキー(酒姫)や居酒屋、酒売り、酒盃には特別な象徴的意味が付与され、 「酒」は神との合一の陶酔にもなぞらえられます。 しかし、ここで注意したいのは、詩の解釈は実際には読み手の自由にまかせられている、 ということです。神秘主義的に解釈することも可能ですが、文字通りの恋愛詩として受け 止めることもできるのです。
詩の象徴性とは、実は私たちの側に託されていると言えるの です。音楽も詩も絵も、あらゆる作品は作り手の手を離れると、それを受け止める人びと の中に拡散されてゆきます。 「あらゆる道がひらかれている」、そう感じさせるものに私は惹かれます。 今回はペルシャ詩をいくつか紹介しますが、皆さんもそれぞれいろいろな感じ方をしてく だされば嬉しいです。
2021.7.4
内海、川合